大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和58年(ワ)12431号 判決

原告

田口高明

被告

有限会社昭美サイン

主文

一  被告は、原告に対し、五四六万七〇三〇円及びこれに対する昭和五八年一一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の、その余を原告の、各負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、一一二〇万四七一八円及びこれに対する昭和五八年一一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五五年六月三日午前五時〇五分ころ

(二) 場所 東京都台東区下谷一丁目一三番八号先路上

(三) 加害車両 普通貨物自動車

右運転者 訴外草間克己(以下「草間」という。)

(四) 被害車両 原告が乗客として同乗中のタクシー

(五) 態様 被害車両が信号待ちのため停車中、加害車両が前方の安全を確認しないまま制限速度を遥かに超える速度で進行してきて、被害車両の直後に停止中のタクシーに追突し、このため右タクシーが被害車両に追突した。

(右事故を、以下「本件事故」という。)

2  責任

被告は、草間を従業員として使用していたものであるところ、本件事故は草間が被告の業務に従事中、その前方不注視及び速度違反の過失によつて惹起させたものであるから、被告には、民法第七一五条の規定に基づき、損害賠償責任がある。

3  原告の受傷と治療経過及び後遺障害

原告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を負い、日本医科大学附属病院(以下「日医大病院」という。)に昭和五五年六月五日から同年八月一三日まで実日数六日、上野医院に昭和五六年三月九日から昭和五八年一一月三〇日まで実日数二六三日通院して治療を受けたが完治せず、昭和五八年一一月三〇日症状固定の診断を受け、局部に頑固な神経症状を残すものとして自賠法施行令第二条別表後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)第一二級に相当する後遺障害が残つた。

4  損害

(一) 治療費 一八四万五七〇〇円

原告は、前記上野医院における治療費として右金額を要した。

(二) 休業損害 三四三万二〇〇〇円

原告は、本件事故当時、株式会社ジョイエンタープライズ(以下「ジョイエンタープライズ」という。)に取締役兼営業部長として勤務し、月額三〇万円(年額三六〇万円)の給与の支給を受けていたが、前記受傷及び通院のため、昭和五五年一一月一日から昭和五六年一〇月一一日まで一一か月と一一日間同会社を欠勤し、その間給与の支給を受けることができなかつたから、休業損害は、次の計算式のとおり三四三万二〇〇〇円となる。

30万×(11+11÷25)=343万2000

なお、ジョイエンタープライズが倒産した事実はあるが、休業損害の算定にあたつては、受傷時の収入を基礎とすることで必要かつ十分である。

(三) 逸失利益 二一八万二〇一八円

原告は、前記のとおり、等級表第一二級に相当する後遺障害を被り、その労働能力を症状固定日から五年間、一四パーセントの割合で喪失したから、前記年収三六〇万円を基礎とし、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は二一八万二〇一八円となる。

360万×0.14×4.3294=218万2018

なお、原告は、昭和二〇年七月生まれで高等学校卒業の学歴を有するところ、昭和五八年賃金センサス第一巻第一表、企業規模計、産業計、男子労働者、旧中・新高卒、三五歳から四〇歳の平均給与額は年額約四三二万円であるから、原告主張の収入は高額とはいえないものである。

(四) 慰藉料 三三四万五〇〇〇円

前記の原告の傷害の部位、程度、通院の期間、実日数(二六九日)、後遺障害の部位、程度等に照らすと、原告の傷害に対する慰藉料は一三四万五〇〇〇円(実通院一日につき五〇〇〇円)、後遺障害に対する慰藉料は二〇〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 四〇万円

原告は、被告から損害額の任意の弁済を受けられないため、弁護士である原告訴訟代理人らに本訴の提起と追行を委任し、その着手金として二〇万円を支払つたほか、報酬として認容額の一割にあたる金額を支払う旨約したから、弁護士費用として少なくとも四〇万円の損害を被つた。

5  よつて、原告は、被告に対し、本件事故による損害賠償として一一二〇万四七一八円及びこれに対する昭和五八年一一月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実並びに被告の責任はいずれも認める。

2  同2の事実及び被告の責任は認める。

3  同3の事実中、原告が日医大病院に昭和五五年六月五日から同年八月一三日まで実日数六日通院し、上野医院に昭和五六年三月九日から通院したことは認め、局部に頑固な神経症状を残すものとして等級表第一二級に相当する後遺障害が残つたことは否認し、その余は不知。

4  同4の各事実はいずれも不知。

なお、原告の経営するジョイエンタープライズは、設立当初から経営が思わしくなく、原告が休業する直前は、既に給料が遅配しており、代表者たる原告としては、自己の給与の確保が困難であり、昭和五五年一一月以降の給与は受けられない可能性が極めて高かつたものであり、まして、昭和五六年一月以降は右会社も倒産し、原告はその代表者たる地位を失つたのであるから、本件事故による受傷がなくてもその収入を得ることはできなかつたはずであり、また、仮に、再就職したとしても右会社で代表者として得ていた月三〇万円の収入には及ばないはずである。したがつて、原告主張の収入を休業損害ないし逸失利益の算定の基礎とするのは相当でない。

5  同5の主張は争う。

三  被告の主張

1  因果関係の不存在

原告の傷害は、日医大病院における治療終了時である昭和五五年八月一三日に治癒したから、その後の上野医院における治療は本件事故と因果関係がない。

すなわち、原告の日医大病院における初診日は事故の二日後である昭和五五年六月三日であり、同日五日分の投薬を受けたのち二八日間も同病院へ行かないなど、同年八月一三日までの間に僅か六日間通院したのみで、同日以降自発的に通院を中止しているうえ、同病院における診断では、僧帽筋痛を認められたほかは何ら異常がなく、治療内容も湿布と内服薬の投与にとどまつていて、原告の本件事故による傷害は極めて軽微であるのみならず、その後昭和五六年三月九日に上野医院で初診を受けるまで六か月以上もの間隔があり、しかも同医院における診断も前記僧帽筋痛と本質的に差のない後斜角筋と僧帽筋の圧痛であり、治療内容も同様で病態に変化はない。

したがつて、原告の本件事故による傷害は、日医大病院における治療終了時である昭和五五年八月一三日をもつて治癒したものというべきであるから、その後の上野医院における治癒後の不必要なものであつて、本件事故と因果関係がない。

なお、原告は、右上野医院初診時において、頸部痛、頭痛等の頚椎捻挫による症状がある旨主張し、また、上野医院の朴権煕医師(以下「朴医師」という。)も、原告の右症状を頸椎捻挫と診断して本件事故と因果関係があるものと判断している。

しかしながら、朴医師は、原告の受傷後上野医院受診までの間、日医大病院、墨東病院の各治療、マッサージや売薬の使用等の治療行為を継続し、症状も継続していたとの主訴を信用し、これを前提として右のように判断したものである。ところが、真実は、原告は、日医大病院での受診は前記のとおり中止したのみならず、墨東病院での受診とは同病院内の理容師の整体術を一回受けたというに過ぎず、数回のマッサージ治療を受けたというのも正式のマッサージ師の加療を受けたのは一回だけであり、売薬の使用も薬剤師の指導によるものではない。原告がこのような治療を受けたのみであるのは、疼痛がなかつた証拠である。したがつて、朴医師が右の事実を知つていれば、前記のような診断を下したかは甚だ疑問である。

そのうえ、朴医師は、内科医であつて、頸椎捻挫に対する専門知識や治療経験に乏しく、しかも、同医師がレントゲン検査の結果として挙げる第五、第六頸椎間の狭小もレントゲン撮影の方法が適当でない。このように、朴医師の頸椎捻挫との診断は必ずしも信用できないものである。

そして、上野医院の初診時における原告の症状は、頸部痛左右回転障害、頭痛睡眠障害、背筋痛、後斜角筋及び僧帽筋の圧痛のみであるところ、左右回転障害及び後斜角筋等の圧痛以外は他覚的所見はなく、かつ、左右回転障害も、レントゲン撤影の際、横たわつて数分間台に左右の耳を付けて撮影したというから、原告の頸部はおよそ七〇度位は回転できたはずである。このような点からみると、原告の症状は、必ずしも頸椎捻挫とは限らず、原告が中年で、しかも、昭和五五年暮ころには自己が代表取締役をしているジョイエンタープライズが倒産して、金策、事後処置に追われ、失業するなど、心身ともに極度の疲労と緊張が重なつたため、本件受傷とは無関係な「肩こり」等が発症したにすぎないものとも考えられる。

2  後遺障害の不存在又は軽微

仮に、昭和五六年三月九日上野医院初診当時における原告の症状が本件事故と因果関係のあるものとしても、原告には後遺障害は存在しないか又は極めて軽微なものである。

すなわち、症状の固定とは、それ以上治療効果が期待しえない状態をいうから、原告の症状は昭和五五年八月一三日をもつて固定したものというべきであり、この時点においては等級表に該当するような後遺障害は存在しなかつた。

原告は、朴医師作成の後遺障害診断書(甲第七号証)を根拠に後遺障害の存在を主張するが、右後遺障害診断書は昭和五八年一一月三〇日を症状固定日としているものの、その診断内容は、昭和五六年三月九日の上野医院初診時点における診断内容と何ら相違がないうえ、同医院におけるカルテには症状の改善を示す記述はないから、右後遺障害診断書記載の固定日を症状固定の日とするのは相当でないのみならず、そもそも右後遺障害診断書の診断内容自体甚だ信用性に欠けるものである。

また、後遺障害等級表事前認定票(乙第三号証)は、原告の後遺障害を第一四級と認定しているが、右は、甲第七号証の後遺障害診断書の記載内容が正しいことを前提として認定されたものであるところ、前記のとおり、右後遺障害診断書の記載が信用できない以上、右事前認定票をもつて、原告に第一四級の後遺障害があるとはいえないものである。

3  原告の損害拡大についての過失

仮に、原告にその主張する症状が認められるとしても、その症状の悪化について、原告には重大な過失がある。

すなわち、原告は、その供述するところによつても、受傷日から三日目である昭和五五年六月五日に日医大病院で初めて診療を受け、二回目の診療を受けたのは二七日後の同年七月二日であり、その後四回の診療を受けたものの、同年八月一三日以後治療を中止し、同年秋ころ自覚症状があるというにもかかわらず正式の医療機関の診療を受けず、医師資格を有しない者から日本薬局方で認められていない貼薬を用いるのみで、マッサージにすら継続的にかかることをせず、症状の悪化を防ぐべき何らの手段も講じずに四か月以上も放置している。このような放置が原告の症状悪化の原因であることは朴医師も認めるところであつて、右のような原告の態度は、損害の拡大についての過失というべきであるから、少なくとも日医大病院の診療中止後の諸損害については、損害の公平な分担の見地から、原告において負担するのが相当である。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  原告の症状が頸椎捻挫であることは、次の点からも明らかである、

すなわち、朴医師は、原告の頸部痛、首の左右回転障害(三〇度しか曲がらず)、頭痛、睡眠障害、肩痛、背筋痛、後斜角筋及び僧帽筋の圧痛という具体的症状に基づいて、頸椎捻挫と診断しているもので、これらの主訴及び他覚症状は、頸椎捻挫の典型的な症状であり、単なる肩こりなどではあり得ない。

また、原告は、本件事故での受傷後、上野医院での初診までの間に、頸椎捻挫を生じさせるような事故等に遭遇したことはなく、右症状の原因は本件事故以外に考えられない。

さらに、頸椎捻挫は、その程度が重い場合、症状が長期間継続することが少なくなく、また、必ずしも受傷直後に重い症状が発現せず、気候の変化により寒冷期に悪化することがあり、このことは原告の症状の推移と合致するものである。

そして、被告の示談を代行していた富士火災海上保険株式会社池袋サービスセンターの佐藤悦夫は、かねがね上野医院受診時における原告の症状と本件事故との因果関係を認め、朴医師に対し、治療費を支払う旨約束していたものである。

2  原告に等級表第一二級に相当する後遺障害が存在することは、次の点からも明らかである。

(一) 自賠責保険の上野調査事務所は、原告に後遺障害があることを認めている。被告は、右調査事務所の判断は、朴医師作成の後遺障害診断書の記載が正しいことを前提としてなされたものであり、右後遺障害診断書の記載は信用性に欠けるものであるから、右調査事務所の判断は誤りであると主張するが、右後遺障害診断書は原告の症状を正確に医学的に判断しているものであるのみならず、調査事務所は、後遺障害診断書の内容の当否を含めて判定するものであるから、右被告の主張は失当である。

(二) また、原告の症状は、昭和五五年八月一三日以後も明確に悪化しており、その後上野医院における治療の結果徐々に軽快したのであるから、症状固定日は、朴医師が症状固定と判断する昭和五八年一一月三〇日とするのが相当である。

(三) さらに、朴医師は、原告の症状を神経症状としては相当に重い頑固な神経症状にあたると判断しており、また、原告の症状は、主訴だけでなく、後斜角筋と僧帽筋の硬結と圧痛、第五頸椎と第六頸椎間の狭小という他覚的神経障害が存在するものであるから、原告の後遺障害は、等級表第一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」にあたることが明らかである。

3  被告は、原告の損害拡大の過失を主張するが、原告は初めて交通事故によつて受傷し、むち打ち症の恐ろしさに対する認識が乏しかつたこと、症状の悪化が比較的後になつて生じたこと、保険についての知識が乏しく、医療費支払が経済的に負担と感じたこと等の事情を考慮すれば、医療機関への通院につきある程度の空白期間があることをもつて、原告に損害を負担させるのは相当でない。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実並びに同2(責任)の事実及び被告に責任があることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  次に、原告の受傷と治療経過及び後遺障害について判断する。

1  原告が日医大病院に昭和五五年六月五日から同年八月一三日まで実日数六日通院し、上野医院に昭和五六年三月九日から通院したことは、当事者間に争いがない。

2  そして、右の事実に、成立に争いのない甲第一ないし第三号証、第四号証の一ないし二〇、第五号証、第七ないし第九号証、乙第一号証の四、第三、第四、第七号証、証人朴権煕の証言により真正に成立したものと認める甲第一〇、第一一号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第六号証の一、証人朴権煕の証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、

(一)  原告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を負い、頸部痛、肩部痛が生じたため、日医大病院へ事故の翌々日である五五年六月五日、同年七月二日、同月九日、同月一六日、同月二三日、同年八月一三日の六回通院し、湿布、投薬の治療を受けたこと、原告は、八月一三日の治療をもつて同病院における治療を中止したが、右中止時における症状は僧帽筋痛のみであつたこと、

(二)  原告は、本件事故当時、パブ経営等を営業内容とするジョイエンタープライズに代表取締役兼営業部長として勤務し、具体的には店長のような立場で、経理、接客等の仕事に従事していたこと、

(三)  原告は、右日医大病院通院中は、右の仕事を継続していたが、同年一〇月の終わりころから、気候が寒冷になるに従つて、次第に首の後部の筋の突つ張り、肩の張り、背部痛などが起こるようになつたため、同年一一月初めから仕事を休むようになつたこと、

(四)  原告は、右症状のため、昭和五六年一月中旬ころ、墨東病院内の理髪店の理容師による整体術を一回受けたほか、昭和五五年秋から昭和五六年春にかけて、マッサージを一回、サウナ風呂のマッサージを二、三回受け、また、妻が薬局で購入したり知人から貰つてきた塗り薬を塗布するなどしつつ、自宅で療養していたこと、

(五)  原告が、右のように、医師の治療を受けずに、整体術、マッサージ等を受けるにとどまつていたのは、これらマッサージ等を受け、また、仕事を休んで自宅で寝ていれば、ある程度改善するのではないかと思つていたため及び治療費の支払が負担と感じられたためであること、しかしながら、右の理容師による整体術では原告の症状は悪化はしなかつたものの、改善もせず、また、右のマッサージや薬剤による症状の改善も見られなかつたこと、

(六)  このため、原告は、知人の紹介で、昭和五六年三月九日から上野医院に週に二、三回通院して、朴医師の治療を受けるようになり、同医院に昭和五八年一一月三〇日までの間に実日数二六三日通院したこと、右の上野医院初診当時の原告の主訴は、首が十分に曲がらず、首の後ろの筋肉が突つ張り、頭が重く、頸部及び背部から腰部にかけての痛みがあり、また、これらのため十分に眠れないというものであり、一方、朴医師の診察の結果は、僧帽筋に強いしこりと圧痛がみられ、後斜角筋にも強い圧痛があり、首の左右回転や前後屈伸の障害、右手指の痩れがあるというもので、朴医師は、主訴と診断結果が合致するものとして、右症状を頸椎捻挫と判断したこと、また、原告は、上野医院におけるレントゲン検査の結果、第五頸椎と第六頸椎間の狭小が認められたこと、右のレントゲン撮影は、頸部の前方、後方及び側方からそれぞれ撮影したもので、側方からのものは頸部を回転させた状態で撮影したものであるが、後方から撮影したレントゲン写真においても右頸椎間の狭小が認められていること、

(七)  原告は、上野医院において、電気鍼による治療法である良導絡ノイロメーターによる治療、消炎鎮痛剤の静脈注射、湿布等の治療を受け、これにより症状が次第に改善し、首の回転障害は正常に近い状態にまで回復し、頭重感もかなり薄くなり、背部痛も軽減するなど、殆どの症状が解消され、頭痛は完全に消失するまでには至つていないものの、通常人と変わらない程度の生活ができるようになつたこと、

(八)  そして、原告は、朴医師から、昭和五八年一一月三〇日症状固定の診断を受け、右のとおり、相当に改善してきているものの、いまだに、クーラーなどが効いていると首が突つ張つて肩が凝るなどし、長時間動かずに坐つていると次第に肩が張つてくる状態、さらには長時間立つていたり長時間仕事に従事すると腰が痛くなるといつた状況にあり、右症状固定後も上野医院に月に二、三回通院していること、朴医師は、原告の後遺障害を神経症状としては重い部類に属し、等級表第一二級程度に相当するものと判断していること、一方、原告は、昭和五九年九月一一日に、自賠責保険の上野調査事務所長から、その後遺障害につき、等級表一四級一〇号に該当する旨の事前認定を受けていること、

(九)  朴医師は、昭和一一年に東京慈恵会医科大学を卒業し、開業以来内科を標榜している医師であるが、上野医院には、整形外科の分野の患者も来院するため、その治療の四〇ないし五〇パーセントは整形外科の分野の治療をしていること、

(一〇)  一般に、頸椎捻挫の傷害は、暫く症状が軽快したようにみえていても、寒冷期その他気候の影響により悪化することもあり、また、初期のうちに十分な治療を受けることが重要で、このことがその後の症状に大きく影響する傾向もあること、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原告の本件事故による頸椎捻挫の症状は、日医大病院における治療によつて、昭和五五年八月三一日の同病院の治療中止当時一応軽快しているようにみられたものの、同年秋ころ、気候が寒冷に向かうとともに悪化し、次第に重い症状を呈するようになつたものと考えられるから、原告の上野医院における治療は、本件事故と相当因果関係のあるものというべきである。

また、右認定事実によれば、原告の傷害は、上野医院における治療によつても完治せず、いまだにクーラーなどが効いていると首が突つ張つて肩が凝るなどし、長時間動かずに坐つていると次第に肩が張つてくる状態、さらには長時間立つていたり長時間仕事に従事すると腰が痛くなる等の神経症状の後遺障害が残つているものというべきであり、その症状固定日は昭和五八年一一月三〇日と認めるのが相当である。

そして、右原告の後遺障害の程度について、朴医師は、神経症状としては重いものとして等級表第二級程度に相当すると判断しているが、前示のとおり、原告の症状は、上野医院における治療によつて、首の回転障害、頭重感、背部痛等の症状が軽快し、通常人と変わらない程度の生活ができるようになつてきていることに照らすと、等級表第一四級一〇号の局部に神経症状を残すものに該当するものとみるのが相当である。

なお、被告は、原告の日医大病院での治療中止後の症状及び上野医院における治療は本件事故と因果関係がなく、また、原告には後遺障害もなく、仮に原告に後遺障害があつたとしても、その症状固定日は日医大病院での治療中止日である昭和五五年八月一三日である旨主張し、東京厚生年金病院整形外科部長森健躬作成の意見書である乙第二号証には、同旨の記載がある。しかしながら、右意見書は、原告の上野医院初診時における症状は後斜角筋と僧帽筋の圧痛だけで、日医大病院の治療中止時点における症状と本質的な差異はないことを前提としているが、上野医院初診時における症状が多岐にわたる相当に重いものであることは、前示のとおりであるし、右意見書自体、原告の上野医院初診以降の症状がすべて日医大病院初診時の症状と関連があると医学的に厳格に証明することは困難であるとしているにすぎないことに照らすと、右意見書をもつてしては、前示の判断を左右するに足りないものというべきである。

ただ、一般に、頸椎捻挫の傷害は、初期のうちに十分な治療を受けることが重要で、このことがその後の症状に大きく影響する傾向もあること、しかるに、原告は、昭和五五年一〇月の終わりころから、気候が寒冷になるに従つて、次第に首の後部の筋の突つ張り、肩の張り、背部痛などが起こるようになつたにもかかわらず、理容師による整体術やマッサージを受けたり、妻が薬局で購入したり知人から貰つてきた塗り薬を塗布するなどしたのみで、上野医院初診までの間、医師の治療を受けなかつたことは、前示のとおりであつて、前記認定事実によれば、原告の症状が上野医院初診時において相当に重い状態に至り、また、その後同医院において長期間の治療を要するに至つたのは、右のような原告の態度も一因となつているものと推認することができるから、原告には、本件事故による損害の拡大について、過失があるものとして、後記認定の上野医院における治療費、休業損害、逸失利益、慰藉料について三割の過失相殺をするのが相当である。

三  続いて、損害について判断する。

1  治療費 一八四万五七〇〇円

前掲甲第二、第五、第八号証、証人朴権煕の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、上野医院における治療費として右金額を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  休業損害 三四〇万二七三九円

前掲甲第一号証、第六号証の一、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第六号証の二、成立に争いのない乙第八号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和二〇年七月二日生まれの男子で、高等学校卒業の学歴を有し、本件事故当時、ジョイエンタープライズに代表取締役兼営業部長として勤務し、月額三〇万円(年額三六〇万円)の給与の支給を受けていたが、前記受傷及び通院のため、昭和五五年一一月一日から昭和五六年一〇月一一日まで三四五日間同会社を欠勤し、その間給与の支給を受けることができなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右の事実によれば、原告は、休業損害として、次の計算式のとおり三四〇万二七三九円(一円未満切捨)の損害を被つたものというべきである。

360万×345÷365=340万2739

なお、原告本人尋問の結果によれば、ジョイエンタープライズは昭和五五年一二月に倒産したことが認められるが、もし、原告が本件事故により受傷しなければ、右倒産後も他の職業に従事して稼働することができたものと考えられるところ、右年収三六〇万円は、原告と同年齢の男子の平均的給与額と対比して高額であるとはいえないから、右倒産の事実は、右休業損害の認定を妨げないものというべきである。

3  逸失利益 四九万〇一七六円

原告本人尋問の結果によれば、原告は、前示の休業ののち、知人からスナック「カティーサーク」の経営を任されて、その経営に従事していること、原告は、前示の後遺障害のため、長時間の稼働には困難が伴うものの、右「カティーサーク」の経営は、比較的時間の自由がきくため、これに従事しながら体調の調整に努めていることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事実に、前示の原告の後遺障害の内容、程度等の事情を総合すると、原告は、その後遺障害により、症状固定日から三年間、五パーセントの割合で労働能力を喪失したものと認めるのが相当である。

よつて、前示年収三六〇万円を基礎とし、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は四九万〇一七六円となる。

360万×0.05×2.7232=49万0176

4  慰藉料 一五〇万円

前示の原告の傷害の部位、程度、通院の期間、実日数(二六九日)、後遺障害の部位、程度等に照らすと、原告の傷害に対する慰藉料は九〇万円、後遺障害に対する慰藉料は六〇万円をもつてそれぞれ相当と認める。

5  過失相殺

以上の原告の損害は合計七二三万八六一五円となるところ、原告の損害の拡大についての過失に基づき三割の過失相殺をするのが相当であることは前示のとおりであるから、これを控除すると、損害額は五〇六万七〇三〇円(一円未満切捨)となる。

6  弁護士費用 四〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告は、被告から損害額の任意の弁済を受けられないため、弁護士である原告訴訟代理人らに本訴の提起と追行を委任し、その着手金を支払つたほか、報酬を支払う旨約したことが認められるところ、本件訴訟の難易、審理経過、前示認容額、その他本件において認められる諸般の事情を総合すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、四〇万円をもつて相当と認める。

四  以上によれば、原告の被告に対する本訴請求は、本件事故による損害賠償として五四六万七〇三〇円及びこれに対する本件事故発生の日ののちの日である昭和五八年一一月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林和明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例